松平 定直

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松平 定直
。伊予松山藩4代藩主。
定勝系久松松平家宗家5代。

伊予今治藩2代藩主・松平定時の長男。


元禄15年12月15日(1703年1月31日)に発生した元禄赤穂事件に関して、
定直は赤穂浪士47名のうち大石良金・堀部武庸・木村貞行・中村正辰・菅谷政利・千馬光忠・不破正種・大高忠雄・貝賀友信・岡野包秀の10名の預かりを命じられた。

この頃、病床にあった定直は江戸城への登城ができず家臣を通じてこの命令を受けた。
元禄16年1月5日(1703年2月20日)になって浪士達と会見。
会見の遅れへの謝罪と仇討ちへの称賛を送り、
「もっと大歓迎をしたいところだが、幕府からのお預かり人であるためできない。しかし諸事不自由はさせない。
用事があれば遠慮なく家臣に申し付けてくれてかまわない」と述べている。

但し、松平家の浪士達への待遇は大石良雄らを預かった細川綱利に比べ劣ったようで、
「細川の 水の(水野忠之)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の 沖(松平隠岐守)ぞ濁れる」(当時の狂歌)と
江戸の武士や庶民からは批判された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%9A%E7%9B%B4より

預けられた先によって、待遇が違うとは

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