保科正之の秘密

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今回は、保科正之の真相に迫っていきます。

幕末の会津藩の悲劇は、松平容保が京都守護職を引き受けたところから

始まった。

当時、この役目を受けるのは家臣は反対した。

当然だ。

当時の京都はかなり危険。

長州や脱藩したサムライなどが、うごめいていた。

それを、取り締まるために京都守護職を必要とした。

しかし、そんな役目は誰もやりたがらない。

家臣が反対するのも納得だ、

では、松平容保はなぜ引き受けたのか?

ここで、藩祖保科正之の家訓が出てくる。

家訓には15カ条ある

第1に藩主は徳川家に忠誠を誓うべし、万が一これにそむくことあるならば

わが子孫ではない。そのような主君にしたがってはいけない。

それ以外に、兄を敬い、弟を愛せよ。

婦人の言うことは一切聞いてはならない。

なんてこともある。

ここで、注目

婦人の言うことは一切聞いてはならぬ。

つまり、女の言うことは聞くなということ。

という割には、約5人の女性と婚姻関係を持っている。

なので、下半身は別物?

というわけだろうか。

これでは、名君と言えないのでは。

なぜ、こんなことを言い出したのか?

最初の将軍に忠誠を誓うというのはわかるけど。

実はある出来事がきっかけだった。

それは、また次回。

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