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保科正之が聖人君主ではないわけ

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保科正之が聖人君主ではないわけ

 

どういう意味か。

 

保科正之は2代将軍、秀忠の子供。

初代の会津藩主であり、3代家光。4代家綱を支えた名君といわれている。

 

だが、真相は違うという話もある。

さらに、会津といえば幕末の悲惨な時期。

会津藩は朝敵の代表格として、新政府軍に徹底的にやられた。

会津の町も、武士に限らず新政府軍の兵士にやられたい放題。

あげく、会津藩士の多くは青森の斗南藩に追いやられ、飢えと寒さで苦しんだ。

 

この原因も、保科正之が影響している。

 

さて、その原因とは。

そして、保科正之が名君ではないわけ。

 

そんなことを書いていこうかと思います。

 

詳しくは次回から。

 

 

 

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