徳川一族の話題を中心に江戸時代のおもしろ出来事などを 紹介していきます。
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14代将軍 徳川家茂。

大河ドラマ篤姫でも登場したが、幕末の動乱期に幼少で将軍になった。

だが、本人はもちろん乗り気ではなかった。

年齢的なものもあるが、考明天皇からの信頼厚く、行動的な慶喜に比べ自分は・・・


そんな思いもあり、将軍を辞めたいと漏らしたこともあったそうで。

たとえば、14代目に慶喜がなっていたら、あそこまで徳川家も追い詰められずに
平和的に明治をむかえ、慶喜自身も政治の中心にいられたのではないか。

そんな、気がするこの頃


徳川さん宅(ち)の常識

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高須城


海津歴史資料館の外観です。

みたかんじ、城ですけど。

高須の城をモデルにしたのかな?

ちなみに、城跡は少し離れたところにあるようですが
見つけられなかった。

今は公園になっているようです。

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高須の山

海津歴史資料館から撮った山々です。

おそらく、松平容保も子供のころ眺めたんでしょう。

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高須藩主の部屋


高須藩主の部屋を別角度で撮ってみました。

14代将軍家茂に嫁いだ皇女和宮。

公武合体政策によって行われたものだが、この和宮の嫁入り行列が各般に
負担がかかった。

和宮の行列には3万人いたとされる。

通路は中山道。

当然、京都から江戸まで歩いてくるわけだから、休憩もしなければならない。

食事もとらねばならない、宿泊もしなければならない。

さらには、
行列の警護をしなければならない。

そこで、約12藩に行列の警護。

沿道の警護に29藩が動員されたようで。

なかでも、尾張藩が1番負担だったようで。

将軍家に対する不満が高ぶっていたころに、拍車をかけたのかもしれない。

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高須藩主


海津歴史館にあった、藩主の部屋を再現したものらしいです。

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戊辰戦争の舞台。

会津に新撰組記念館ができたそうです。

新撰組といえば、京都を思い浮かべますが会津とのつながりは
京都守護職である松平容保が会津藩主だったということ。

また、戊辰戦争の時には新撰組の生き残りも戦っていたことからも
関係がある。

場所は新撰組 斉藤一の墓もある、福島県会津若松市七日町


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能楽堂


高須藩の能楽堂を再現したものだそうです。

海津歴史資料館3階にあります。

京都守護職日誌〈第2巻〉文久四年一月~元治元年十二月






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海津歴史資料館の全貌


海津歴史資料館の全体です。

実際の高須藩の城もこんな感じだったのでしょうか?

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海津歴史資料館


松平容保のふるさと。

高須藩。

現在の岐阜県海津市にある、海津歴史資料館。

館内は海津の歴史。

おもに縄文時代の発掘物の展示や、高須藩ゆかりの品も展示してありました。

敗者から見た明治維新~松平容保と新撰組
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徳川慶喜の兄


鳥取藩主 池田慶徳。

幕末の混乱期。

幕府につくのか新政府につくのか?

藩内でも意見がわかれ、自身でも判断がつかなかった。

そうしてるうちに、鳥羽伏見の戦いが始まり、結局は討幕側についたわけ。

本人はこれを恥じて、隠居している。

結局はずるずるとまとめ切れなかったことが、藩内に混乱をきたした。
徳川御三卿の1つ、田安徳川家。

実はこの田安徳川家では、最近まで座って洗面をしていたという。


これも、殿様の名残でしょうか。

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10代将軍家治。

祖父吉宗に似て英明だったといわれる。

さらに、将棋好きが発展して、詰将棋の本を書くまでに。

それほど、将棋好きであり。

さらに腕前のほうも、かなりのものだったそうだ。


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高須4兄弟。

これが、幕末の有名な兄弟ですね。

ご存知のとうり、高須藩の4兄弟です。

尾張藩主 徳川慶勝

高須藩主 徳川茂徳

会津藩主 松平容保

桑名藩主 松平定敬


この4人を高須4兄弟と呼ばれた。

ただ、歴史上では徳川茂徳はあまり目立たなかったが、実は明治維新の際に
新政府との交渉で徳川家存続の交渉を行ったほど。


松平容保


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本日、松平容保のふるさと高須藩に行ってきました。

といっても、現在は岐阜県海津市高須というところになってます。
ここの歴史資料館に、高須の歴史資料が展示してあります。

明日まで、新成人の方は入場料310円が無料です。

もちろん、市外在住の方でもいいそうです。
というわけで、新成人ではないが行ってきました。

画像などは、明日以降にでも。

さて、ここでは高須藩の資料も展示してありました。

入場者は、自分の他は2人組の老夫婦だけ。

なにやら、鹿児島へ行ったときに島津さんに案内されたそうです。
島津家の子孫の方でしょうか・

そんなわけで、資料を発見したこと。


それは、高須藩にまで伸びていた一橋治斉のネットワーク。

以前にも、書いたが11代将軍の父一橋治斉。

彼は、わが子を将軍にするため、裏でいろんなことをしたらしい。
そして、家斉を将軍にした後でも、徳川一族に自分の子供を送りこんだ。

水戸を除く御三家。
御三卿。

そして、高須藩にも。

高須藩8代藩主 松平 義居
彼は一橋治斉の7男だったらしい。


おそるべし、ネットワーク作りの鬼ですね。

松平容保


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松平容保。

幕末の会津藩主として有名。

だが、生まれは尾張藩の支藩。

つまり、尾張家からわかれた親戚である。

それが、高須藩。

今の岐阜県海津市になる。

ここにも、歴史資料館があり高須藩の資料も展示されている。

で、この3連休は新成人の方が無料で入場できるようです。

市内、市外関係ないそうです。

これは、お得。

松平容保の生まれ故郷をみてみるいい機会ですね。

詳しくはこちらから

http://www.city.kaizu.lg.jp/syogaigaikusyu/rekimin/rekishiminzokushiryokan_moyooshi.jsp
3代将軍家光の、生まれながらの将軍。

これが有名だが。

この態度が気にいらない人がいた。

尾張初代藩主、徳川義直。

家光からすると叔父にあたるわけだが、そんなの関係ねえ。

家光のこの態度が気に入らなかったようだ。

実は義直も家光と闘おうとしたことがあった。



家光が京都の帰りに、尾張で休憩したいといった。

将軍を迎えるために御殿を作るなどして、準備をしたが家光は尾張によらずに帰った。

このことに怒った義直は、一戦交えようとした。

だが、弟の頼宣に止められたため、戦は起こらなかった。

このあたりも、尾張から将軍が出なかった理由にあるのかも。


尾張藩社会の総合研究(第2篇)

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御三家筆頭の尾張家。

でも、なぜか将軍になった人はいない。

宗家の血筋が途絶えた、7代目の後に紀州から吉宗が8代目になった。

そのあとは、一橋から11代目が出て。

14代目は再び紀州から家茂が15代は水戸出身の慶喜が。

結局、尾張家からは将軍が出なかった。

幕府が意図的に、避けてきたという話もある。

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1866年の今日 1月4日


慶喜は禁裏守衛総督であった。

京都守護職松平容保と水戸落主徳川慶篤と弟の松平昭武を引き連れ
参内し正を賀す。

つまり正月のあいさつに行ったということですね。


プリンス昭武の欧州紀行―慶応3年パリ万博使節



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松平容保。

会津藩主であり、京都守護職でもあった、松平容保。

慶喜に頼まれたため受けた京都守護職。

それによって、会津の運命は変わってしまった。

そんな、松平容保のふるさとに正月旅行のついでに行ってみませんか?

ちなみに、会津は松平容保のふるさとではありません。

彼は養子ですから。

生まれは、岐阜県の海津市。

ちかくに行く予定があれば、いってみるのもいいですね。

歴史資料館もあります。

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