徳川一族の話題を中心に江戸時代のおもしろ出来事などを 紹介していきます。
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幻の第11代将軍

誰だと思いますか?

寛政の改革をおこなった、松平定信

もともとは、御三卿の1つである田安徳川家の当主・田安宗武の七男であるので
将軍になれる可能性はあった。

田安家を継いだ兄の徳川治察が病弱だったので、父。田安宗武は
定信を田安家を継がせ、11代将軍へということを考えていた。

だが、父、宗武の時と同様に邪魔がはいり、結局陸奥白河藩へ養子に出されて知った。


[幻の第11代将軍?]の続きを読む
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徳川宗武

このなまえでは、ピンと来ないかもしれない。

田安宗武

どうでしょう?

ここまでくれば、おわかりかも。

御三卿の田安徳川家の初代当主。

9代将軍家重の弟であり、8代将軍吉宗の二男である。


なぜ、次男が将軍候補だったのか?
[9代将軍になるはずだった、徳川宗武。]の続きを読む
8代将軍 徳川吉宗

15人の将軍の中でも、知名度でいえばベスト3に入るのではないか。

享保の改革などで有名だが、もう1つ有名なのが出世街道である。

紀州徳川家の4男として生まれる。

通常4男といえば、どこか地方の藩に養子に行き
そこの藩主を継ぐというのが、一般的である。

しかし、吉宗の場合は将軍にまでなった。

なぜ?

運がよかった?

実は、この出世街道の裏には、母親の存在があるという噂も・・・
[吉宗の母親は忍者だった]の続きを読む
有栖川宮家といえば、2003年に末裔と名乗るものの詐欺事件が起きた。

有栖川宮家といえば、幕末官軍の総大将となって
徳川の敵になった。

そんな、有栖川宮家の親王が意外にも徳川家と関係があるのを知った。

3代幸仁親王は、5代将軍になりそうになった。
結局老中の反対もあって、5代目は綱吉になったが
もしかしたら、皇族将軍が誕生していたかも。

6代織仁親王の娘のうち、1人は12代将軍、家慶と結婚。
もう1人は、徳川斉昭と結婚。
つまり、徳川慶喜の母である。

9代熾仁親王は、和宮の婚約者として知られる。
この人が戊辰戦争の総大将となった。

10代威仁親王の娘の1人は徳川慶喜の7男と結婚。

のちの高松宮妃殿下を産んだ。


松戸の戸定邸に行ったとき、晩年の徳川慶喜が有栖川宮の親王と自動車に乗って
ドライブに行く時の写真が飾ってあった。

時代的にいって、9代の親王ではなかったのではないかと思う。
篤姫が嫁いだ13代将軍、徳川家定

実は篤姫が嫁いだ目的は、14代目を一橋慶喜にしようとしたのが
目的だった。

しかし、結果的に14代目は家茂に決まった。


篤姫を見ていた方は、ご存じかもしれないが。
当時大奥で、水戸の評判は良くなかったのは事実らしい。

家定自身も、好ましい存在とは思ってなかったようだ。


なぜか?

[13代目は慶喜になるはずだった]の続きを読む
千葉県市原市に徳川義軍の墓があります。

戊辰戦争で官軍に追われた、幕府軍がこのあたりで
官軍を迎え撃って、全滅したといわれる場所です。

今回は、そんな徳川義軍の動画です。

幕末の戦いといえば、会津とか五稜郭なんかが思い浮かびますが
こういうところでも、あったんですね。



http://www.youtube.com/v/ZaNsKwK1jBM&hl=ja&fs=1
篤姫人気で注目された人が


1人は薩摩の小松帯刀。

そして、勝海舟。


篤姫では、いい味を出している。


勝海舟ブームもきてるかも。

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徳川家康からはじまった、徳川幕府も4代目で早くも途切れた。

というのも、3代家光の長男が4代家綱である。

この家綱は、先代の3人と比べても病弱であったこと。
知的にも問題があっあっために、政治的なことはできなかったといわれる。

結局40歳近くまで生きたが、後世にこれといった名を残すことをできなかった。


3代家光と5代綱吉と、話題を多く作った人の間だけに
なおさらである。


参考文献


将軍といえば、大奥にたくさんの側室を持ち
気に入る子がいれば、手を出して妊娠した子もいる。

だが、2代目秀忠は違った。

側室もいたことはいたが、子供を産まなかった。

というより、妊娠したら胎児させられたという話も。

結局、子供を産んだのは正室お江与の方だけ。

簡単にいえば、お江与の方は嫉妬深かったという話。

なんといっても、織田信長の姪。
気が強いというのも、わかる気もする。

そんな秀忠もお江与の方が産んだ子供以外に、
子供がいたという。
[恐妻家だった、2代秀忠の秘密]の続きを読む
あの水戸黄門が日本で始めてラーメンを食べたらしい。

そんな話を聞いた。

すでに、古い話ではあるが。

あの、水戸黄門も新しい物好きだったのかも。

徳川幕府が崩壊して、明治新政府が誕生。

そのあと、最後の将軍、徳川慶喜はどうなったのか?

家族全員、新政府に殺された?


外国ではよくある話ですが、日本ではあまりない。


あまり、話題にでないが、徳川慶喜は隠居していたのだ。

明治新政府は、徳川慶喜に静岡で隠居するように命じ。

ここに、約30年くらい過ごしたという。

その間、何をしていたのか?

趣味に打ち込んだという。

写真に乗馬、料理などなど、どれもプロ並みとはいかないまでも
かなりにレベルだったらしい。

やはり、若いうちから優秀と認められたほどの人だけに

凡人とは違ったところがあるのだろう。


水戸黄門。

水戸徳川家の2代目藩主、徳川光圀。

ドラマの中では、全国を回り悪人を懲らしめるいい爺さん。

まあ、コレは実際の話ではないのは有名。

ただ、人格的にはどうだろう。


水戸の領民にとっては、名君ではなかったようだ。
現在の寺田屋に行ったことありますか?

実は寺田屋は、坂本龍馬の事件当時のままといわれていますが、
実際には違うのでは?

戊辰戦争の時に燃えたのでは?

現在、この件について京都市が調査中。


結果はいつになるのかわからないが、気になりますね。


では、その寺田屋の動画を見てみますか?





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