徳川将軍の話題

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徳川家康の遺愛品公開

三井美術館で

http://www.tokugawa.ne.jp/20100414mitsui.htm
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きのう、名古屋祭りがおこなわれました。

 

この祭りの目玉は、愛知が生んだ三英傑のパレード。

三英傑といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。

 

だが、歴史好きの女子の間では人気がない。

 

人気のある、戦国武将といえば、直江兼続、伊達正宗、真田幸村、上杉景勝など。

 

地元の三英傑ははいっていない。

その影響か、名古屋にある徳川美術館も

ある対策をとった。

 

これまでは、徳川家康を中心に、信長、秀吉関係の展示物をしてきたが

これでは、客受けが悪い。

 

というわけで、歴女むけに直江兼続などの

関係資料や鎧などをかりてきて、展示するそうで

歴史ブームは喜ばしいが、人気の武将とは関係のない地域

の場合は、影響が少ないのが現状。

 

頼りは、大河ドラマ。

 

名古屋にとっては、来年は坂本龍馬、その次は秀忠の娘お江。

 

お江は、信長、の姪であり家康の息子秀忠の嫁。

 

接点はあるが、名古屋出身ではないし、名古屋に来たことがあるかも

不明。

 

こういったことから、しばらくは我慢といったところか。

 

 

 

 

前回の続き。

徳川秀忠が将軍になれた理由です。

兄の秀康は、武将としても人格的にも上である。

秀忠は、おとなしい性格。

武将向きではない。

さらに、母親の違い。

秀康の母親は、家康の奥女中を務めた人。

秀忠と4男忠吉の母親は、中級武士の娘。

たいして、違いはない。

では、なぜ?


それは、その豪快な性格ゆえ。

戦国の世がつづけば、彼にも部があったであろう。

しかし、これから太平な世が続くなら
おとなしい性格の秀忠が将軍にしたほうがいいだろうと
家康の判断であろう。



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徳川秀忠。

2代将軍であるが、初代が家康。

息子の3代家光。


この二人に囲まれ、あまり歴史上の話題に上がらない・

彼はどんな人物だったか?

性格的には、律儀な性格だったそうで。

三男であり、当時からすると家督を継げる身分ではなかった。

とは、いえ長男の信康はすでにこの世にいない。

そうなると、ライバルは二男の秀康。

彼は、いわゆる熱血漢で勇敢な武将でもあったといわれる。

関ヶ原の前の、会津上杉ぜめ。

ここで、家康が会津を攻め続ければ、後の石田三成と
挟み撃ちになる。

なので、その情報をキャッチした家康は、上杉攻めをやめ
石田三成との決戦に臨んだ。

ここで、大事なのが退却時のしんがり。

ここで、食い止めておかないと本隊に影響が出る。

そこで、任されたのが二男秀康。

彼は期待以上の働きをして、家康を満足させたという。

では、なぜ彼は将軍になれなかったのか?

それは、また次回。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090618-00000047-sanspo-ent


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篤姫をご覧になった方は、将軍の後継ぎに
大奥の影響力が大きいと感じた方もいるでしょう。

実際、この話は7代将軍の時から始まっている。

有名な、絵島事件の時です。


月光院と蓮浄院の争い。

そして、次は8代目を決めるとき。

このときは、6代目正室の天英院と7代目生母の月光院の争い。

このときは、紀伊の吉宗が8代目になったが
大奥には、尾張を回避しようとする慣習もあった。

このことから、将軍争いに大奥の影響があったといえる。


まあ、8代目の時は別の理由もあるといわれているが。

そして、この後も実はあった。

それは、また次回。

徳川将軍家墓碑総覧


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