徳川一族の話題を中心に江戸時代のおもしろ出来事などを 紹介していきます。
前回、大名行列は江戸城の登城の際にどうしたのか?

という話をした。

今回は続き。

実際に各大名が一斉に大手門に集まったら大変である。

なので、江戸城の32ある門に分かれて入ったらしい。

その門乃前の堀を渡る橋で、3分の1に人数を減らして
門をくぐる。

残されたものは、橋の前の広場で殿様が帰るまで
休憩となる。

残り3分の一で、外堀の内堀に入り
大手門に到着。

ここで、殿様は家来を1りだけつれて
門の中に入ることになる。

門をくぐると、家来は玄関まで。

中には殿様1人になってしまう。

大名行列も大変である。




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大名行列は長いというイメージがある。

実際長かったらしい。

しかし、あの長い大名行列だが、江戸城に登城するときはどうしたのか。

正月になると、各大名は将軍に挨拶することになっている。

全員そろってである。

全員といっても、何人いるかは各時代によって違うが、
軽く50人は超えているだろう。

大名は1人だが、行列は何十人といる。

あの人たちは、どうしているのか?

江戸城のどこに入るのか?

あれだけの人数を入れる部屋があるのか?

時代劇も、そのあたり詳しく描いているものはないだろう。

みんな、同時刻に集まるのだから、大手門は大渋滞?

実は、そこに秘密があった。

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前回の続き。

徳川秀忠が将軍になれた理由です。

兄の秀康は、武将としても人格的にも上である。

秀忠は、おとなしい性格。

武将向きではない。

さらに、母親の違い。

秀康の母親は、家康の奥女中を務めた人。

秀忠と4男忠吉の母親は、中級武士の娘。

たいして、違いはない。

では、なぜ?


それは、その豪快な性格ゆえ。

戦国の世がつづけば、彼にも部があったであろう。

しかし、これから太平な世が続くなら
おとなしい性格の秀忠が将軍にしたほうがいいだろうと
家康の判断であろう。



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徳川秀忠。

2代将軍であるが、初代が家康。

息子の3代家光。


この二人に囲まれ、あまり歴史上の話題に上がらない・

彼はどんな人物だったか?

性格的には、律儀な性格だったそうで。

三男であり、当時からすると家督を継げる身分ではなかった。

とは、いえ長男の信康はすでにこの世にいない。

そうなると、ライバルは二男の秀康。

彼は、いわゆる熱血漢で勇敢な武将でもあったといわれる。

関ヶ原の前の、会津上杉ぜめ。

ここで、家康が会津を攻め続ければ、後の石田三成と
挟み撃ちになる。

なので、その情報をキャッチした家康は、上杉攻めをやめ
石田三成との決戦に臨んだ。

ここで、大事なのが退却時のしんがり。

ここで、食い止めておかないと本隊に影響が出る。

そこで、任されたのが二男秀康。

彼は期待以上の働きをして、家康を満足させたという。

では、なぜ彼は将軍になれなかったのか?

それは、また次回。



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再来年のNHK大河は「江」

だれだか、わかりますか?

徳川と関係の深い人物。

2代将軍、秀忠の正室。

お江与の方といったほうが、わかりやすいでしょう。

再来年は、この人が主役。

脚本は、篤姫を書いた人だというから
期待。

では、ふるさとはどこになるでしょう。

篤姫の場合は、鹿児島。

今の直江兼続の場合だと、新潟。

たぶん、生まれたのが福井だから福井ということになるでしょう。

信長の姪だから、名古屋も関係あるかな。

乗り遅れないうちに、江について調べておきますか?

徳川将軍家墓碑総覧

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では、ふるさと福井の宿を探してみますか?